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もう既にやる気ない

ありきたりなワーホリブログ

みかんとティムタム。

また少しだけリアルタイムのお話をします。


去年の11月〜今年の1月、英語取得の為にフィリピンのバギオと言った場所で3ヶ月間留学。

そして今年2月の頭、日本へ立ち寄る事もせず、3ヶ月間付き添った4冊の英語の教科書と1冊のノートを邪魔だなと思いつつも、思い出の詰まった品物。
捨てる訳にはいかず、バックパックに押し込みフィリピンから直接オーストラリアへ。

そんな感じで始まったオーストラリアでの生活も既に半年が経過しようとしている。

で、今までオーストラリアで何をしていたのかと言うと、3ヶ月間ひたすらマンダリンファームでマンダリンを狩っていました。

マンダリンの前にもイチゴを狩っていましたが、その事を書くと色々と面倒なので省略します。

何故、ファームでマンダリンを狩っていたのかと言いますと、全ては2ndビザ目的です。

2ndビザとは、決められた場所で88日以上働けば、ワーホリビザが1年間延長できると言った物らしいです。

その2ndビザの為だけに、毎日休み無く小ちゃいハサミでチョキチョキとひたすらマンダリンを狩っていました。

そして遂この間、88日間以上働き2ndビザを取れるまでの日数を手に入れた訳です。
(ワーホリの年齢制限が35歳まで伸びた⁇一応1年の余裕はあるので、まだ申請はしません。)

で、1週間ほど前になりますが、最寄りのスーパーまで片道徒歩30分だった田舎の町から移動し、今はSAと呼ばれる地域にあるシティにいます。

そして、そこで「仕事をください!何でもします!」
と言いながら、レジュメ(日本で言う所の履歴書)をレストランやカフェに配る毎日。

が、上手い具合にローカルのジョブをゲットする事はできず、レジュメのコピー代だけがかさむ日々。

もう、レジュメ配る店も無いんじゃないのか?
って言うくらいシティを歩き回り、残された店はジャパレスがほとんど。

多分、ジャパレスなら簡単に仕事ゲットできます。

ただ、ジャパレスで働きたくないと言うのが僕の正直な気持ち。
理由は2つ程あって、1つはただ単に給料が安いから。

オーストラリアの最低時給は、17.70ドルです。
今のレートだと日本円にして1,537円。
そして更にダブルペイと言った物があり、深夜や休日などに働くと時給が1.5倍〜2倍にまで上がるそうです。
基本、ローカルジョブのレストランやカフェなどの時給は20ドル(1,700円)を超えます。

しかしジャパレスは違って、時給9ドル〜12ドル(780円〜1,000円)で働かされるんだとか。
ダブルペイも無し。
もちろん、オーストラリアでは違法行為です。
その為、給料は銀行を通さずに現金手渡し。
これをキャッシュハンドジョブと言い、オーストラリアにあるジャパレスは、殆どが低賃金でキャッシュハンドジョブだと聞きました。
(中にはちゃんとしたジャパレスもあります!オージー経営のジャパレスとか)

2つ目は、ジャパレスで働くなら日本にいても出来る事だと思ったから。

ここはオーストラリアで、せっかくネイティヴの英語環境にいるのに低賃金のジャパレスで働いて、従業員全員日本人で、決まりきった接客英語しか使わない。
日本の飲食店でバイトするのと同じ事だなと思ったからです。
(中には英語環境のジャパレスもあります!オージー経営のジャパレスとか)


だからもし、余りにも仕事が見つからず、ジャパレスで働かなくてはいけない様な状況になってしまったら、僕はファーム生活へと戻るでしょう。

ファームにも当たり前の様に日本人はいて、期待していた程、英語環境ではないのですが、経験としては日本では出来ないような事ばかりでした。

採れたてのマンダリンを盗み食いしたり、アボカドファームが隣だったので、そこから10個くらいアボカドをパクったり、腐ったマンダリンを韓国人と投げ合って、韓国人のスーパーバイザーにガチで怒られたり、韓国語で韓国人女性の口説き方を教えてもらったり、仕事中にも関わらずフランス人とドラゴンボールを見たり、ドイツ人と一緒にマンダリンで手作りジャムや100%ジュースを作ってみたり、、

ただ、やっぱり1番記憶に残っているのは、20才の若い日本人女子と2人1組でマンダリンをピッキングした事ですかね。

とてもサバサバしている子で、掌サイズの蜘蛛を僕に見せてきたり、「オーストラリアのカタツムリ食べられると思う?」
と言って、一緒にフランス人のいる所まで聞きに行ってみたり、野生のカンガルーやコアラ、エミューを見て感動したり、イヤホンさえしなければ仕事中に音楽を流す事が許されていたので、仕事中に僕の知らない世代の曲を大声で歌っていたり、「もうやりたくない!」と2人でぶつぶつ文句を言いながらもマンダリンをピッキングしたりと、、

で、最終的に何が言いたいのかと言いますと、タイ人や韓国人女性も可愛いのですが、結局は日本人の女性が一番だと言う事です。

少し話が脱線しましたが、天候やマンダリンのコンディション、肉体労働でそこまで稼げない歩合制のファーム生活は大変でしたけれども、何だかんだ言って楽しかったし、日本では絶対に出来ない様な経験ばかりでした。


そんなファーム生活から抜け出し、シティジョブを探し始めて1週間。


出会いがあれば、必ず別れは来ます。

みんな元気にマンダリンピッキングしてるかな?

明日はどこにレジュメ落とそう?

少し冷たい芝生に座り、20才の日本人女子お勧めのティムタムオリジナルと、ダブルコートを食べながら、ファームでの生活を思い返しているのがリアルタイム。



追記

もしこの冬、日本でみかん狩りをする計画を立てている方。
そして、「払った金額以上のみかんを取りたいぜ!」
と思っている方。

僕に連絡して頂ければ駆けつけます。
みかんのコンディション次第ですが、1時間で約300キロ〜600キロ分のみかんを採る事が可能です。

報酬はキャッシュハンドではなく、銀行振り込みでお願いします。

自慢する訳ではないのですが、当時50人程いたピッカーの中で、5本の指に入るくらいのピッカーでした。
1日に200ドル(17,300円)以上稼いだ事もあります。

決して自慢では無いです。


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This is a pen class.

2つある窓の1つから、程よい感じに日差しが差し込んでいる。
6畳半ほどの小さな部屋に、ガタイのいい女性フィリピ人教師と僕1人。

先生は、右手に持ったペンを僕に見せて言う。
「Jun!What is this?」

僕は自信満々で答えた。
「This is a pen!」

「good!」と先生。

「How about this one?」
再び先生は僕に聞いてきた。
右手に握った消しゴムを僕に見せながら。

「This is a eraser!」
消しゴムと言った英単語くらい僕でも知ってるぜ!
と思いながら、自信満々で答えた。

「wrong!!」
野太い声が6畳半ほどの小さな部屋に響く。
「Jun!! What is this?」
再び先生は聞いてきた。

何が間違っているのか分からない当時の僕は、口を開く事と考える事をやめた。

が、「Jun! What is this!?」

再び同じ質問。
決して答えを言わない先生。
生徒に考えさせる教育方針。

2分振りに考える事を再開し2分程考えてみたけれども、結局分からなかったので、「アイドントノー」と僕は口を開く。

「Jun! This is an eraser!! understand!?」

たかが冠詞されど冠詞、aとanだけの違いだった。

再び先生は目の前のペン数本を指差しなかまら、違う質問をしてきた。
「Jun! What are these?」

僕は答えた。
恐る恐る。
「These are pen」

「Wrong!!」
再び間違いを指摘される。

で、色々はしょって数分後。
「These are pens.」
が正規アンサーだと知る。
複数形sの付け忘れ。

更に色々はしょって数分後、先生の野太い声が6畳半ほどの小さな部屋に響いた。

「Switch‼︎」

Switchとは先生が先程してきた様な質問を今度は僕が英語で質問し、先生が答えるパターン。
ペンを指指しながら「What is this?」
机を指差しながら「What is this?」
マグカップを指差しながら「What is this?」
携帯を指差しながら「What is this?」
窓の外から見える緑の木々を指差しながら「What is this?」

その瞬間、先生の眉間にシワが寄った。
それと同時に「Wrong!!」と再び野太い声

「They are plural‼︎don't forget!!」
「What are those!! It's correct!!」

中1で習う簡単な英文法。
ただ、いざ声に出すとなると何度もつっかえてしまう。

1コマ50分。
This is a penクラスはこんな感じでした。

感想としては、日本人の綺麗な女性と6畳半ほどの部屋でお茶でもしながら、これは1本のペンですか?
とか、これは1つの携帯電話ですか?
とか、あれらは木々ですか?
などと言った会話のキャッチボールを日本語でしたいなと思いました。



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絶対に日本語を喋ってはいけないフィリピン生活初日。

世界一周の反動で、海外を観光する事に全く興味の無くなってしまった僕は英語習得の為にフィリピンへ。
期間は3ヶ月。

詳しい詳細を書くと身元がバレるので、ざくっと説明しますと、フィリピンのバギオと言った地域にある小さな学校。
学校のポリシーは、少数精鋭で徹底的に英語の基礎を叩き込む。

そして、EOPと言ったEnglish Only Policy.

その為、滞在中は授業の無い休日だろうと、生徒同士、一切日本語を喋ってはいけない。
もちろん緊急時以外、日本にいる家族や友達との日本語での通話も禁止。
(メールなどのメッセージなら日本語可)

少数精鋭だけあって、当時の全校生徒は僕を含めた日本人6人のみ。

何故、僕がこのスパルタ学校を選んだのかと言うと、ここまで徹底的に自分を追い込まないと、自ら進んで英語の勉強をしないと思ったから。

その思惑通り、入学初日の僕は珍しく追い込まれていた。

まずは先生によるクラス分けがあったのだが、有無を言わず超初心者のThis is a penクラスへ。
次に、学校内のルールやら何かを英語で僕に説明。
99%理解できなかったが、僕が死ぬまで説明されても同じ事なのでアンダースタンドと言って済ましました。

まあ、この辺は想定内なので特に気にはならなかったのですが、問題は日本人との英語での会話でした。

朝食、休み時間、昼食、夕食、寝る前の団欒、当たり前だけれども皆さん英語を喋っている。
そして、僕以外の日本人は留学3ヶ月以上とレベル高め。
Good morningとかHelloしか知らない僕は、英語での会話に入っていけず完全に空気。
ただ、僕位のレベルになると例えそれが日本語だとしても会話に入れないので同じ事だったかもしれません。

何個か前の記事で、今までの人生の中で2番目に大問題だった事は、中学1年の時に英語の授業が始まった事と言いました。
で、今までの人生の中で1番の大問題はこの日です。

日本語が喋れない、皆との英語での会話に入っていけない。
気を利かせて簡単な英語で話しかけてくれるけれどもYesかNoでしか返せない。

やべぇ…
と思いつつ長い1日が終わり、下腹部に軽い痛みを感じながら自分の部屋に戻る。
生徒の人数が少ない為、1人に1部屋が与えられ、4人部屋とやや大き目の部屋にあるベッドに腰を掛けた。

中学校1年の時「生麦、生米、生卵」が3回言えずに泣いてしまったユウタ君の気持ちが17年越しに僅かながら理解できた所で、ユウタ君抜きのライングループに連絡。


「帰りたい」


軽く既読スルーされた僕は、英語の勉強をせずに早めに就寝。



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毎回、思う事。

あまりリアルタイムの話はしたくないのですが、これだけは書き残しておかなければならないと言った強い思いから、リアルタイムのお話をします。


今現在、僕はオーストラリアの真ん中の下の方にいる。
で、そこで2ビザ習得の為にファームで1日中柑橘系をむしってお金を稼いでる訳です。

そして、今僕が住んでいるシェアハウス。
韓国人6名、日本人1名、合計で7名。
日本人1名とはもちろん僕の事で、醤油の焦げた匂いすらもキムチでかき消される程に韓国。

僕がここへ来て早1ヶ月。

至る所にあるハングル文字に慣れ、辛ラーメンに慣れ、仕事がない日など、一緒に韓国映画を日本語の字幕と日本語の吹き替え無しで見る事にも慣れ、韓国人6人のカカオトークのグループに入れられ、韓国語だけで永遠とチャットが続く事にも慣れたし、黙って勝手に僕の食材を使われる事にも慣れた。

それよりも、

そんな事がどうでも良いくらい、皆が僕に対してとても優しく接してくれます。

もっといっぱい食べなよと、毎日僕にご飯をくれたり、サムギョプサルの1番美味しい食べ方を教えてくれたり、マッコリやビールをくれたり、ティムタムをくれたりと…etc

だから、僕も暇な時に親子丼やうどんを皆に作ってあげたり、折り鶴の折り方を教えてあげたり【あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない】と言ったアニメを、ちゃんと韓国語の字幕ありで一緒に見て一緒に感動して一緒に泣きそうになったりと、、

歩合制のファームジョブは思った以上に稼げませんが、Win-Winな関係を築けている訳です。

ただ、そんな緩くて、のほほんとした生活が終わろうとしています。
昨日、2人の韓国人が僕のシェアハウスを去りました。
そして今日も、1人の韓国人がシェアハウスを去ります。
更に今週の金曜日に1人の韓国人が去り、土曜日には2人の韓国人が去り、元から住んでいたメンバーは、僕以外全員シェアハウスを去ります。

昨日シェアハウスを去った2人の韓国人。
D君とBちゃん。
彼らは13歳の時からアメリカに住んでいた事もあって、英語を流暢に話す事ができ、時には韓国語→英語への通訳、時には英語の先生。
チョコレート、マクドナルド、サラダ、ブラザーなどの発音が悪いと何回も発音練習をさせられました。

が、そんな彼らはもういません。

部屋が隣だった為、毎晩おやすみの合図でお互い壁ドンをしていました。
しかし、今は壁ドンしても一向に返事が返って来ません。

別れ際、D君とBちゃんは僕に言いました。
英語の下手くそな僕でも聞き取れるような簡単な英語をはっきり、そしてゆっくりと。

「We will never forget you. We are family. If you need something to help, Let us know. We will be in Sydney. See you again.」

D君とBちゃんがシドニーへ行くと言う事は既に知っていましたが、僕は言いました。
「Why you leave here? Where are you going? Who teaches English to me from today? ...Thank you for taking care of me. Me too I will never forget you and I will go to Sydney to see you. That is promise. See you again!!」

合っていたか分からない、カタカナ英語だった為、通じたかも分からない。
その後、D君とBちゃんは去って行きました。



僕が働いている柑橘系ファームのオーナーは、いくつかシェアハウスを持っています。
そして、他のシェアハウスにも日本人が3人住んでいて、その日本人が僕に言いました。

「そっちのシェアハウス、皆メッチャ仲良いいよね‼︎」と。


初めてこのシェアハウスに来た時は、完全にアウェーでした。
しかし、今となってはD君とBちゃんが言ったように家族です。

他のシェアハウスがどうなのかは分かりませんが、毎回僕は人との出会いに恵まれているんだなと改めて思いました。

ゆうた君含めた幼馴染の友達から始まり、世界一周で出会った友達、そして今のシェアハウスのメンバー。

決して友達が多い訳ではない。
人との出会いだって、他の日本人に比べれば少ないと思う。


だけど、僕は人との出会いに恵まれている。


そんな思いをこれからも忘れない様にと、今夜も返事の来ない壁ドンをしながら眠りにつきます。




カムサハムニダ


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You must not speak Japanese here③

ユウタ君だけでこんなに長くなるとは思いませんでしたが、平成12年中学校1年〜平成29年までのユウタ君の経歴です。



平成12年、中学1年。
【生麦、生米、生卵が言えずに泣いちゃった事件】
これは、前の記事に書いた通りです。



平成12年〜平成14年、中学1年〜中学2年。
【鬼ごっこ、ユウタ君エンドレス鬼事件】
これは僕を含めた5人で、休み時間などを利用し鬼ごっこをしていた時の事、僕達よりもずーっと足の遅いユウタ君をエンドレスで鬼にしていたら、泣いてしまいました。
僕達のメンバーにKがいて、Kに至っては特に酷く、グーでユウタ君にタッチしていましたからね。

そして、半ギレで泣きながら追いかけてくるユウタ君は、当時の僕達にとってはホラー以外の何者でもなかったです。
それが2年間続きました。



平成14年、中学2年。
【こっち見ないでねん事件】
これはユウタ君に好きな人ができた中学2年生の時。
僕もそうですが、好きな人ができるとチラチラと好きな人を見てしまいます。
で、ユウタ君も同じく好きな人をチラチラ見ていたある日の事、ユウタ君の机の上に1枚の手紙。

送り主はユウタ君の好きな人から。
当時の状況はグーパンのKから聞いただけなので詳しい状況などは分からないのですが、好きな人から貰う手紙はさぞかし嬉しかった事でしょう。

手紙を開けたユウタ君。
中を見ると、こう書いてありました。

「こっち、見ないでね。」

その後、ユウタ君を学校内で見かける度に毎回「こっち見ないでね!」と言った遊びが流行り、それがエスカレートして「こっち見ないでねん!」と語尾に【ん】が付け加えられる様になり、15年以上経った今でも過去の思い出話として取り上げられます。




平成14年、中学2年。
【キャンプ寝坊事件】
中学2年の時のキャンプ。
5人1班でバンガローに泊まっていた時の事。
イケテない僕は、同じくイケテない連中5人と一緒の班。

もっとイケテないユウタ君は、もっとイケテない連中5人と一緒の班。
もちろん、僕達とユウタ君は別々のバンガローでしたが、KとHと僕の3人でユウタ君達のバンガローへ遊びに行きました。

そして、イケてるグループが女子のバンガローを訪れているであろう時間帯、僕達は僕達らしく地味にババ抜きやUNOなどをして遊び、ユウタ君達のバンガローを後にしました。

ユウタ君達の目覚まし時計のアラームを【切】にして。

気付かなかったユウタ君達もアレですが、翌朝寝坊し、集合時間に来なかったユウタ君達は先生に起こされ、その後めちゃくちゃ怒られていました。




平成15年、中学3年。
【おばさん、救急車呼んで事件】
中3のある日の事、僕、K、H、A、ユウタ君の5人でチャリに乗って途中まで一緒に帰宅していた時の事。
ユウタ君がチャリから転落しました。

原因は僕達4人がユウタ君のチャリに体当たりした為。
派手に転んでしまったユウタ君の膝からは赤血球。

僕達は「傷口に唾つければ治るでしょ!」
なんて言っていましたが、死を察したユウタ君は、たまたま通りかかったおばさんに泣きながらこう叫びました。

「おばさん、助けてー!救急車呼んでー!」
見事にスルーされたユウタ君は翌日、ケロッとした顔で学校に来ました。




平成16年、中学3年。
【高校受験、ユウタ君以外全員合格事件】
これはそのままで、皆で同じ高校に行きたくて僕とK、A、そしてユウタ君と同じ高校を受験した時の事。

見事にユウタ君だけが落選しました。

合格発表後、受かった僕達3人は落選したユウタ君と一緒に帰宅。
そして、帰宅途中にあった電話ボックスでそれぞれの親に結果を報告。

その時もユウタ君は僕達の側にいて(気まずくないのかな?)
なんて思いながら、僕も母に「高校受験受かった。」と落選したユウタ君の目の前で電話しました。




平成19年。
【全裸で駆け回るユウタ君事件】
しばらくユウタ君とは音信普通状態でしたが、平成19年の夏。
僕と、いつものメンバー(K、A、H)
そして、奇跡的に中学時代の同級生の女子4人と一緒に母校のグラウンドで花火をしていた時の事。

「ユウタ呼ぶか?」みたいな流れでユウタ君を呼び出し、男5人、女子4人になってしまった事を悔やみながらも「久々に鬼ごっこしよーぜ!」と言った流れで鬼ごっこをする事に。

時刻は深夜、数年の月日が経っても相変わらずユウタ君はエンドレスで鬼。

そんなユウタ君を見兼ねたK君は言いました。
「全裸になった方が早く走れるよ!暗いから大丈夫!見えない!見えない!」

その後、ユウタ君は女子が4人いるのにも関わらず全裸になり僕達を追いかけ回してきました。

中学校のグラウンドは真っ暗で、K君の言った通り人影以外何も見えませんでしたが、中学校時代の半ギレで泣いて追いかけてくるユウタ君よりもホラーでした。

全裸になったユウタ君に対して、僕達男連中はお腹が痛くなる程笑いましたが、女性陣はドン引きしてました。




平成20年。
【ゆうた君のせいで2週間でバンド解散事件】
平成20年、僕の20歳の誕生日の時。
「今更だけど、バンドやってみない?」
と言われ、K、H、ユウタ君が僕にベースをプレゼントしてくれました。

メンバー構成は、カラオケで1番点数が高く、少しだけギターの弾けるKがボーカル&ギター。
簡単なコードなら弾けると言ったHがリードギター

ベースをプレゼントで貰った僕は勿論ベース。
で、余ったユウタ君はドラム。
僕がベースを受け取った事で、ドラム以外の楽器は揃い、僕の誕生日にバンド結成。

「来年の紅白目指そうぜ!」

それから約2週間後「ドラムたけーよ」
と、一向にドラムを買う気配のないユウタ君のせいでバンド解散。




平成22年。
【ユウタ君の車のガソリン無駄遣い事件】
K君が一丁前に埼玉の都内へ引っ越すと言うので、僕の車とユウタ君の車2台でK君の引越しを手伝った時の事。

無事にK君の引越しも終わり、K君のアパートでくつろいでいると「久々にスマブラやりたくね?明日休みだし!」となりK君のアパートに泊まる事となりました。

しかし、任天堂64もスマブラも僕のアパート。
同じ埼玉県内でしたが、K君のアパートから僕のアパートまでは高速を使い車で約1時間の距離。

車を持っているのは僕とユウタ君で、話し合いの末ユウタ君の車で僕のアパートへ行き任天堂64とスマブラを取りに行く事に決定。

しかし「ガソリン代が勿体無いから嫌だ」と言うユウタ君。

そんなユウタ君に「分かった。スマブラは諦めて今日は皆で呑もう!」

と言って、僕達は沢山のお酒をユウタ君に飲まし、ユウタ君が泥酔して眠った後にユウタ君の車を僕が運転し、下道を1時30分かけて僕のアパートへと行き、任天堂64とスマブラをピックアップし、再び下道を1時間30分かけてK君のアパートへと戻りました。

で、翌日「その64どうしたの?」
と聞いてきたユウタ君に「GEOで中古で買った」と言い、「何かガソリンが半分位減ってるんだけど」と言ってきたユウタ君の質問に対しては「酔いすぎじゃん?」と言っておきました。



その他にも、埼玉で有名な心霊スポットにユウタ君を置き去りにしたり、雪の日にユウタ君の車のボンネットにやや大きめの雪だるまを乗せたり、ユウタ君の引越しを手伝っている時に手が滑ってしまい、ごま油を6畳のフローリングの上にぶちまけてしまったり、mixiで女の子のふりをしてユウタ君にメッセージしたりと書ききれないくらいありますが、これらがユウタ君の経歴です。



成田空港を西に離陸した飛行機は約3時間30分後。
フィリピン、ニノイ・アキノ国際空港に到着。

そこから北へバスで約6時間、バギオと呼ばれる都市へ到着。
そこから更にタクシーを使い15分。
タクシーから降り、ちょっとしたゲートを通過。


「You must not speak Japanese here‼︎」

フィリピン人。
今日から数ヶ月間お世話になる英語の先生に言われた。

ユウタ君や他の人達と色々あった29年間。
それは100パーセント日本語で交わしてきた事で、それが出来なくなってしまった瞬間だった。

Yesしか英語の分からない僕は、小さく頷き「Yes」と言った。


嫌いだけど英語の勉強始めます。


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You must not speak Japanese here②

ピーナッツ型の坊主頭に太くて濃い眉毛、オオスズメバチの様な鼻、分厚い唇に中年体型。

すっかり老け込んでしまったユウタ君でしたが、6年振りの再会はとても嬉しかった事を昨日の事のように鮮明に覚えていますと言うと嘘になります。

誰だっけコイツ?
が僕の第一印象で、エビスと言うあだ名を付けられていた事が判明。

そんな感じで始まった中学校生活。
それと同時に、クラスではイケてるグループとイケてないグループに別れ始め、予定調和の如く僕はイケてないグループへ所属し、ユウタ君は更に下のもっとイケてないグループへ所属する事に。

また中学校からは部活動が始まり、当時【テニスの王子様】が流行っていまして、越前リョーマの様にテニスの王子様になりたかった厨二病の僕はテニス部へ。

同じく僕より末期な厨二病患者のユウタ君は、小学校時代に黄色い班長旗を振り回す事が好きだったと言った理由から剣道部へ。

そして更に、英語の授業が新たに始まりました。
今思えば、これが今までの人生の中で2番目の大問題で、まずローマ字が読めませんでした。
ローマ字が読めなければ、簡単な英単語も読めない。
ようやく読める様になってきても、英語の教科書が何を伝えたいのかが一切分からない。
その為、付いて行く事さえもできずに完全に置いてけぼりにされてしまいました。
もちろん僕より頭の悪いユウタ君も同じ。
しかし、それでも進む英語の授業と月日。


そんなある日の事、事件は起きました。

僕の中学校では、2週間に1度の頻度で外国人の先生が英語の授業を教えてくれるという日があったのですが、その授業で僕達に英語を教えてくれたニュージーランド出身、長身で金髪のイケメン先生、アントニー

英語の授業中、彼は一体何を思ったのか?
突然片言の日本語でこう言いました。
「皆さん、生麦、生米、生卵、3回言えますか?」

更に更に、何を思ったのか?
その後、僕達生徒は1人ずつ「生麦、生米、生卵」を3回言わされる事となりました。

教壇に立っているアントニー目線で1番左側、1番手前の席の人からスタート。
普段なら名前の順で「あ」から始まる新井君からスタートで、僕の順番は3番目でしたが既に席替えをし終えた1年1組。
その為、僕の席は2の川の真ん中辺り。

ただ単に「生麦、生米、生卵」を3回言えば良いだけ。
簡単な事でしたが、失敗して皆の前で恥ずかしい思いをしたくなかった僕は、自分の番になるまで小声で「生麦、生米、生卵」と言っていたと思います。

僕目線で、1番右側の1番前の人から順番に何事もなくクリアしていくクラスメート。

そして僕の番が回ってきた。

「Stand up please」
アントニーに言われ席を立つ。

皆んなの前で生麦生米生卵を3回言わなければならない。
緊張しながらも、僕は静かに口を開く。

「生麦、生米、生卵、生麦、生米、生卵、生麦、生米、生卵」
何とかノーミスで3回言う事に成功。

その後も順調にクリアしていく皆。
そして3の川で、すっとぼけた顔をしているユウタ君の番が来た。

「Stand up please」
席を立ち、早口言葉に挑戦するユウタ君。

しかし
「生麦、なっ…」
失敗。

「生麦、生米、なま…」
失敗。

「生麦、生米、なままま…」
失敗。

「生麦、なまご…」
失敗。

「生麦、なみゃご…」
失敗。

「生麦、生米、なまちゃ…」
失敗。

なんと、何回挑戦してもユウタ君は「生麦、生米、生卵」が3回言えなかったのだ。


「Sit down please」
アントニーの一言で席に座ったユウタ君。



ユウタ君の両目からは大量の涙が溢れていて、それは英語の授業が終わった後も続いていた。

その日以来、ユウタ君は僕達の中で1番のいじられ役になってしまいました。


書ききれないので、続きはまた…
確かブログの時系列だと、まだ飛行機の中で全然進んでないですね。

何故ユウタ君が出てきたのかは良く分かりませんが、一つだけ言わせてもらうと
アントニー、もし今の時代「生麦、生米、生卵」を3回、生徒に1人ずつ言わせたとしたら、いくらイケメンでもPTAに訴えられるからな。


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You must not speak Japanese here①

僕には人生の半分以上は同じ記憶を共有しているんじゃないだろうかと言った保育園からの幼馴染が3人いまして、その内の1人は小中高と高校までもが同じで、周りからもガチでゲイかな?
と、間違われるほどずっと一緒にいました。

高校を卒業した後は、お互い別々の道へと行きましたが、僕が地元から程近い場所で1人暮らしをしていると言った理由から週1ペースで僕の部屋には安くてすぐに酔える様なお酒の空容器が溜まり、月1のペースで僕のトイレを汚されていました。

しかし、お酒が飲める様になっても結局は子供のままで、最終的には任天堂64本体とコントローラー4つを中古で買い、出前のピザとコーラを頬張りながらマリカースマブラで朝方まで過ごし午後過ぎに目覚め、

「1日無駄にしたー!」

などと、皆で文句を言いながらも再びゲームをすると言った流れに落ち着きました。

そんな救いようの無い僕ら4人の中に、もっと救いようの無いユウタ君と言ったメッチャ頭の悪い奴がいるので、そのユウタ君について話します。



ユウタ君との出会いは、もちろん保育園からで、物心ついた頃から一緒にいた様な気がしますし、当時の写真を見直すと毎回僕の隣にはユウタ君。

また、母親同士仲が良かった事もあって、保育園だけではなく地元の夏祭りなんかにも一緒に行ったりしていました。

しかし卒園後、仲の良いユウタ君とは一旦別れて別々の小学校へ。

ミニ四駆、たまごっち、ビーダマン、ゾイドデジモンバトエン、FF、ドラクエビックリマンカード、遊戯王カード、ポケモンetc…

これらを一通り経験し6年後。
今から約17年も昔で、初期のモーニング娘が全盛期だった時代。

12才になった僕は1学年2クラス、僅か76名しかいない田舎の中学校に入学。

少し大きめの学ランと、少し高い自転車のサドル。
男女平等と言った理由から始まった男女混合の席順。

1年1組。
もちろん入学当初の席順は名前の順で「い」から始まる名字の僕は前から3番目。

僕らの担任についた白髪混じりで強面の小笠原先生。

「はい後ろにプリント回せー!」

の一言で、前の人から回ってきたプリントを後ろに回した時に「う」から始まる名字のユウタ君と6年振りの再会。


そして僕を見たユウタ君は、僕に一言だけ言った。



「よっ!」






6年と言った月日は余りにも残酷で、人4倍以上も老け込んでしまったユウタ君がいた。


続く。


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