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もう既にやる気ない

ありきたりなワーホリブログ

シェアハウスで盗難事件 パート1

頑張ってリアルタイムに追いつく為、今から約10ヶ月前の、楽しかった韓国人とのマンダリンファームでの生活について書きたいのですけれども、
つい数日前、僕が住んでいるシェアハウスで盗難被害にあったので、今回はその事について書きます。



今、僕はオーストラリアのメルボルンに住んでいる。
で、朝の6時〜14時、たまに15時30分〜23時30分と1日8時間、週6日で働かさせてもらっています。

そして、僕のシェアハウスはシティと呼ばれる中心部にありながらも、週140ドル(約12,000円)と中々安い部類。

ただ、最悪な事に男7人での共同生活です。

一軒家ではなくマンションタイプの集合住宅で、3人部屋が2つにシャワールームが各部屋に1つずつ。
1人はリビングルーム。

リビングルームと言うのはそのまま、リビングに仕切りを張って作られただけの部屋で、こっちだと当たり前の事らしく、値段は普通の部屋よりも安くなっております。

で、僕が住んでいるのは普通の部屋。
約15畳程の部屋にベッドが3台。


窓側のベッド、半径1メートルが僕のテリトリーです。


ルームメイトは2週間程前までは韓国人2人でしたが、その韓国人2人が出て行った翌日に、1人のイタリア人が入居、そしてその1日後にドイツ人が入居。

大体ヨーロピアンに「日本から来た」と言うと、ドラゴンボール!、ナルト!、ワンピース!、寿司作れるか?

とか、もう飽きるくらい聞かれて、ウンザリしていたんですけれども、

「俺は綺麗好きなんだ!」

と言って、掃除当番じゃない日も小まめに掃除していたドイツ人には感心しました。

が、夏を迎えたオーストラリアで、2日に1回のペースでしかシャワーを浴びないタイプだったので、今の無し。


そんな感じでガラッと変わった僕のルームメイト。

それから約1週間後。
今から数日前の事。

休日でも、普段は洗濯物を干す時しか外に出ない僕ですが、良い感じでボーッと出来る日和だったので、ティムタムとバニラオレを持って、シェアハウスから徒歩20分程の場所にある川沿いの公園へ。

日差しは強いが、メルボルン特有の強風が絶妙なバランスでして、6時間程ボーッとしてから帰宅。

この時の時刻は18時。

シェアハウスに住んでいると言っても、セキュリティに関しては少しばかし気を使っていて、例えば財布を机の上やベッドの上、赤の他人から見える位置には置かないとか。

なので普段は、ベッドの下に25リットル程のバッグを置き、その中に財布などの貴重品を入れ、南京錠でロックしてからシャワーを浴びたり、ご飯を作ったりと、自分のテリトリーから離れるのですけれども、そのバッグが消失。


この日の朝、僕のバッグはありました。
何故なら、財布をそのバッグから取り出したから。

寝ぼけて何処かにしまっちゃったのかな?
と思い、机の下、クローゼットの中、シャワールームと探索。

が、一向に見つからない。

僕の行動に不思議がるイタリア人。

聞いても無駄だろうと思いつつ聞いてみた?
「俺のバッグ知らない?」

もちろん返ってきた答えは
「知らない。」

流石に盗まれる事は無いだろう。

と思っていた僕は、一先ず財布と携帯を街歩き用のバッグに入れ、シャワー、そして夕飯を作るためにキッチンへ。

シャワーを浴び終え夕飯の納豆を食べている時に、ルームメイトのドイツ人が帰宅。

「何で日曜なのに働かなきゃいけないんだ?Fuck!何食ってんだ?寿司か?」

と言った質問をガン無視で
「俺のバッグ、何処かに片付けた?」
と聞いてみた。

が「俺は何も触ってない。」
とドイツ人。

そこから、シェアハウスの中を2時間程探索したり、全員に「俺のバッグ知らない?」と聞くも、全員の答えは決まって「知らない。」


ようやく僕は悟りました。
「これ、盗まれたパターンだな」と。


しかし、過去にスキミング被害に遭った経験を生かし、テンパる事なく早急に対応。

予備で持っていた緊急連絡表を58リットルのバックパックから取り出すと同時にスカイプを起動し日本へ電話。

楽天プレミアムカード、三井住友カード新生銀行の国際キャッシュカード全てを停止。
そして、シェアハウスのオーナーに連絡。

「バッグが盗まれた!泥棒がいる!」と。


幸い携帯、カメラ、パソコン、財布、オーストラリアで作ったキャッシュカードなど、生活に必要な物は無事でした。

盗まれた物は、パスポート、運転免許証、日本のカード3枚、2ndビザフォーム、世界一周前に友達から貰った御守りなど。

無事とは言いましたが、世界一周中に僕が訪れた各国の入国スタンプや出国スタンプが押されたパスポートの紛失は結構ショックで、ナスカで押したハチドリのスタンプも、ウシュアイアで押した最南端のスタンプも全て失いました。

そして、それよりも大事な御守りも失いました。


これは許されませんからね。



で、この時の時刻は22時。
警察には明日行くと決めた所で、シェアハウスのオーナーがやって来た。
ここのオーナーも韓国人です。
綺麗な女性ですが、残念な事に彼氏持ちです。

「今日、コロンビア人がシェアハウスを出て行った。恐らく彼が盗んだのかもしれない。」



ファーム生活でのシェアハウスは、全員が同じ時間に起き、同じ時間に朝食、同じ仕事をし、同じ時間に帰宅、そして同じ時間に夕飯を取り、同じ時間に就寝。

まるで家族の様な生活ですが、シティでのシェアハウスは、僕みたいに朝早い人、夜から仕事の人、昼間は学校で午後からバイトの人。

と、全員がバラバラの生活を送っており、同じ屋根の下に住んでいるのにも関わらず、1日の間に1回しか顔を合わせなかったりと。
シェアハウスにもよると思いますが、僕のシェアハウスはそんな感じです。



なので僕にとって、そのコロンビア人も1日に1回キッチンで会うか会わないかの存在でして、「こんにちは」「何処から来たの?」「学生?」「これから仕事?」「何作ってるの?」「どのくらい滞在してるの?」
くらいしか話してないんですよね。
部屋も違うし。


そんな彼が、わざわざ僕のベッドの下にあるバッグを盗るだろうか?
と思った時に、僕は盗らないと感じました。

じゃあ、誰が盗ったのか?
となった時に、シェアメイト以外の住人なのではないか?

何故なら、僕のシェアハウスに鍵はかかっていないから。
鍵はあるのですが、マンションの入り口に鍵があるので、みんな鍵をかけないで外出します。

その為、このマンションの住人なら誰でも僕のシェアハウスに出入りする事が可能です。

また、ガードマンもいないので、例えマンションの住人じゃなくても、「鍵を部屋に置き忘れた」とか適当な嘘を言って、住人が入り口のドアを開けたタイミングで侵入する事も可能です。

実際、僕が鍵を部屋に置き忘れてマンションに入れなかった時、その方法で簡単に入れましたし。

そんな訳で、このマンションの構造を理解している住人か、以前このシェアハウスに住んでいた誰かではないか?
と推測。


とりあえずひと段落し、部屋に戻ると、
「警察いったか?一緒に行ってやろうか?」
とドイツ人。

「何を盗まれたんだ?」
とイタリア人。


みんな、それなりに心配してくれて有難いんですけれども、

「今日の午後、何してたの?」
と聞く。


「言っただろ!俺は仕事だった!」
とドイツ人。


「俺はスーパー行って、タバコ吸って寝てた。」
とイタリア人。


僕は聞いた。
普段の僕と同じ様に引きこもっていたイタリア人に。

「今日、誰か来た?」

「誰も来てない、でも俺がスーパー行ってる間とか寝てる間に誰か来たのかも」

若干怪しいですが、もし自分がイタリア人だったら同じ事言うんだろうな。

いくら怪しくても証拠が無い限りは何も出来ないので、23時30分に就寝。



寝る前のちょっとした胸騒ぎ。


僕の第6感が言っていた。


「近くにいる」と。






シェアハウスでの盗難。
実際に自分が経験したので気を付けてください。


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べジーモンとチャリの反射板。


今から10年も前で、僕がまだ19歳だった頃の春。

最初の方の記事でも何度か登場していますが、A君、H君、K君、ゆうた君といつものメンバーで集まって、
「今日は何するか?集まっても結局やる事ねーんだよな。」
と、毎回の様にノープランで集合。

ダラダラした話し合いの末「今年で10代最後だし、中学校に行ってお世話になった先生達に会いに行こう!」
となり、母校の中学校へ行く事となった。

今の時代では完全に不審者扱いですが、職員用の駐車場に僕の車を止め、堂々と生徒用の玄関から母校の中学校に侵入。

卒業して以来4年振りとなる校舎。
土曜日の午後とあって、静けさが漂う中に僕達の「懐かしー!」や「俺の下駄箱ここだった!」などの声が響く。

その後、先生達に会いに行く為に職員室へ。

程よく田舎の中学校。
僕らの学年は僅か78名しかおらず、1年1組と1年2組の2クラスのみ。

もちろん先生の数も少なく、4年振りにノックして入った職員室に、僕達の知っている先生は、たった1人しかいなかった。

その先生は、僕とAとHが中学2、3年の時の担任で、永遠にいけてないグループに所属していたにも関わらず、僕達の事をしっかりと覚えてくれていた。

忙しい合間の中、想い出話に花を咲かせてくれた。

そんな中、
「もう10代終わっちゃうんですよね。」
とか、
「先生、20代どうでしたか?」
などの話題になった時に、先生は言った。


「20代、あっという間だったよ!」


当時19歳の僕達に、その言葉の意味を理解する事は不可能でして、
「先生、今度は成人式後の同窓会ですね!」
と言って、元担任だった先生とお別れした。

その後、校舎を出た僕達5人は1階の1番角にある1年2組へ外から回る。

1年2組の隣外には、ちょっとした芝生の上に桜の木が2本生えていて、毎年春になると満開の桜が咲く。

この時も満開の桜が咲いていたので、僕達は芝生の上に寝転がって桜を眺める事にした。

生暖かい風に運ばれ散って行く桜の花びら、何処からともなくツンとする黄色い菜の花の匂い、透き通った青空の中をゆっくりと流れる綿あめの様な雲。


「中学1年の頃に戻りたいね。」

「10年後とか、どうなってるんだろう?」

「俺の奥さん、どんな人だろう?」

「子供の名前、どうしようかな?」

「ゆうたは結婚できねーから無駄だよ!」

多分、こんな感じの会話だったと思います。


緩い何でもない平凡な1日。
ただただ母校の桜の木の下で、寝転がって空を見ていた日。

19の時の想い出と言ったら、真っ先にこの日の事が思い浮かびます。
そして、そのまま時間が止まってくれれば良いな。
と、思っても無駄なので10年後に行きます。



はい、10年後。


約3ヶ月前の9月、日本に一時帰国していた時、上に出てきたメンバー(ゆうた君不在)で呑んでいた時の事。

下ネタや普通の世間話は勿論の事、何度も話し合った過去の話。
そんな、たわいもない会話の中に、自分達の身体の変化や異変、更には親が亡くなった後の後継ぎについての話題。


まさかでしたよね。


この人達と出会ったのは保育園、小学校からで、その頃は、

セーラームーンのうさぎちゃんと結婚する」

「オレ、将来カクレンジャーブラックになる」

「オレ、トマトもピーマンも食べれるよ」

「オレも、みんなと同じ!まなみちゃんが好きー。」

ドラゴンボールごっこしよー!」

「変身‼︎」




小学校では、

「俺もエリカちゃん好き!」

「俺ん家の畑に生えてるドドメ美味いぜ!」

「この蟻甘いよ!」

「あの辺の森、ミヤマクワガタ捕れるよ!」

「俺、泥団子作るの上手いよ」

「ミミズにオシッコかけると、ちんちん腫れるんだって!」

「ザリガニ釣って、俺ん家の犬に食わせるんだよ」

「ここを俺らの秘密基地にしよう!」

「この草、昨日お母さんが天ぷらにしてた。」

「何でみんな、赤なの?」

「俺のポケモン全部レベル100!」

「ミュウくれよ!」

「一緒に少年野球チームに入ろう!」

「雨で野球の練習中止になれ!」

「何でみんな、たまごっち白なの?」

「何でみんなデジモン白なの?」

「何でみんなべジーモンに進化するの?」

「PKファイヤー連続で使うなよ!」

「ファルコンパンチは3回までな!」

「2位なのに雷のアイテム使うんじゃねーよ!」

「班長旗ランドセルに刺すとカッケー!」

「何でみんなのゲームボーイカラー、クリアーパープルなの?」

「何でみんな銀なの?」

「色違いのポケモンくれよ!」

セレビィくれよ!」




中学校の時は、

「次、俺と好きな子かぶったらしばく!」

「ゆうた君、久しぶりー!老けたね。」

「1人だけT字の箒が使えるからって調子乗んなよ!」

「俺、坊主にしたくないからテニス部に入るよ。そしてテニスの王子様になるから!」

「何で俺と同じラケット?」

「毎日、朝と午後だけ雨降れ!」

「あそこのトンネル、たまにエロ本落ちてるよ!」

「見て!1番エロいページで、四つ角を石で止めるトラップ発動!」

「今日もゆうた泣いてた。」

「俺、肩パン強いよ」

「濡れたタオルとか反則だろ!」

「これでゆうた泣かす⁇」

「あそこの自販機、下からジュースパクれるよ!」

「俺、遊戯王キラカード絶対に当てれるから」

「PKファイヤー弱っ!」

「ファルコンパンチ弱っ!」

「2位なのに雷のアイテム使うなって言ったよな?」

「駅まで競輪しよーぜ!ビリになったやつがハンバーガー奢りね!」

「俺も明日からベッカムヘアーにする」

「これで俺のチャリ、反射板6個!」

「上履きの踵潰したからって調子乗んなよ」

「微妙な腰パンでイキがんなって」

「今日もゆうた泣かす⁇」

「何で俺と同じ携帯?」

「今日で最後だし、第2ボタン交換しようぜ」




高校では、

「7クラスとか多すぎじゃない?」

「みんなスカートの下に体操着履いてるよ。」

「今度こそ女子とテニスしたいから、また俺はテニス部に入る」

「女テニ4人しかいなかったし、来年で廃部だって」

「毎日7時00分から朝練とか辛すぎ」

「部活引退するまで毎日雨降れ!」

「英語のテスト赤点だった。」

「文化祭の準備が1年で1番嫌いなんだよ。」

「ちょっと髪染めたからって調子乗んなよ!」

「長髪ストパーとか、バンドマン目指してるん?」

「今日バイト? 無かったら5時頃にいつもの場所ね!」

「英語? 赤点だよ!」

「俺も車の免許取ったぜ!」

「もう明日から制服着なくていいのか…」

「ゆうたみたいに泣くなよ。」



そんな事を言い合っていた僕達が、まさか最近食が細くなってきたとか、涙脆くなってきたとか、1日じゃ疲れが取れないだとか、親が亡くなった後の親戚との縁や暮石などの話し。
また、結婚して子供がいるKに至っては子供の将来や教育の話し。


(そんな話をする年齢になってしまったんだな。)


と、思っていたらHが言った。

「俺らも、こんな話をする様な年になったのか…」と。


それから話の話題は、20歳になってから今までの思い出に移行。

ただ、終始このメンバーで行動していたので、互いが互いに忘れない様にと確認程度。

「そう言えば、あんな事あったね。」や
「あそこ行かなかったっけ?」とか。

そんな思い出を振り返っている中、既に20代を終えてしまったA君が言った。

「今思えば、20代あっという間だったなー」と。




そして、つい先日。
このブログを書いている自分も、無事に20代を終えました。

本当に20代、あっという間でした。

日本で働いていた時も「20代はあっという間だからな!」
と、会社の先輩や上司からも言われていましたし、両親からも言われていました。


自分が30になり、その言葉の意味がようやく理解できました。


早かったですねー。
振り返るとあっという間でした。


なので、誰がこのブログを読んでいるのかは分かりませんが、
もし、このブログを読んでいる方の中に20代、そしてこれから20になる人。


「20代は、あっという間です!」


なので、やりたい事があったら、迷わずそれに挑戦してみてください。
20代で遅すぎると言う事は無いですから。

で、中学生とか高校生の方はしっかりと朝練などに参加し、風の強い日、雨でぬかるんだ地面、女子のいない環境だとしても、ボールが見えなくなるまで汗水流してください。

今の僕の年齢に達しなくとも、20になる頃には、良い思い出になっているはずです。

と、住所不定無職が偉そうに言ってみました。


まさか、自分がこれを言う年齢になってしまったとは、、

未だに実感は無いです。


でも20代、楽しかったです。


そして30代を迎えた数日後、つい数日前の事です。
僕のパスポートやクレジットカード、運転免許証などが入っているバッグがシェアハウスにて盗難に会いました。

クレジットカードはすぐに止めたし、パスポートや免許証などは再発行できるので、ほぼ被害は無しと言っても良いでしょう。
カメラやパソコンなどの電子機器も無事なので、犯人が僕のバッグを盗んだ所で、何もする事は出来ません。

話のネタにもなるし、幸先の良い30代を迎えたのではないかと思ってます。






「じゃ!お互い身体だけには気をつけて!」

そう言って、僕は友達と別れた。


少し車を走らせれば、いつでも会える距離だし、もう20年以上は顔を合わせている。

その為、普段は何も感じないのだけれども、この時ばかりは、心臓にポッカリと穴が空いた様な気分だった。

人気の無い夜中の駅。
自転車に跨り、実家を目指してペダルを漕いだ。


帰り途中に見えた母校の中学校。



「俺のチャリ、反射板1個。」



あの頃と同じコースを辿って帰った。



最後に、僕の誕生日にお祝いメッセージを送ってくれた沢山の方。
沢山と言っても両手で数え切れるのですけれども、本当にありがとうございました!

こんな自分ですが、30代もよろしくお願い致します。


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韓国人とマンダリン。

朝は寒い。
昼間は暑い
夜も暑い。
腰が痛い。
イチゴは甘くて美味しい。

と言った理由から、僅か1ヶ月でイチゴファームを辞めてやってきたのは、レンマークと言った田舎町。


イチゴファームの仕事は、日本語サイトを利用しましたが、今回は英語サイトを利用。

その為、ボスはネイティブスピーカーで、一緒に働く人達もネイティブ並みに英語を流暢に話すのだろう。

そんな事を思いながら、レンマークのバス停で僕のボスとなる人を待つ。


待つ事1時間。

「コンニチワー。」
と、片言の日本語。

第一印象は韓国人ぽい。
見た目も韓国人。
と言うか、韓国人。

イチゴファームの時から感じてはいましたが、圧倒的に韓国人が多い。

日ハムの大谷と鋼の錬金術士が大好きだと言う韓国人ボスのオンボロな車に乗り込み約10分後、この日からお世話になるシェアハウスへと到着した。

シェアハウスの玄関を開けた瞬間に「アニョハセヨー」
と韓国語。

つられて僕も「アニョハセヨー」

そのシェアハウスには僕を含め7人が住んでいたのだが、何と僕以外全員が韓国人だった。

オーストラリアにワーホリではなく、もはや韓国にワーホリ。

「明日から働ける?」

そんなボスの質問に、僕は「YES」と言った。

イチゴの次はマンダリンです。


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イチゴを狩る事だけに1ヶ月を費やした夏


言葉が通じずに意思疎通が上手く図れないと言う事はとても不便な事です。

が、「じゅん!クラブ行くぞ!」

「アジア人が集まる所に行くぞ!」

と、誘ってくる韓国人ルームメイト2人の質問に対して

「クラブとかパリピばっかの所は勘弁ですわ。普通に日本のような居酒屋でしんみりと呑みたいんだけど。」

とは言わず、

「アイ ハブ ア ストマクエィック!」

と、言い慣れた適当な嘘を並べて相変わらず部屋に引きこもっている週末の夜。

もし、ルームメイト2人が韓国人ではなく日本人だったとしたら、上手く嘘をつけない僕はすぐに見破られるだろうなと思った。

「Take care!」

そう言って、ややお洒落な格好で部屋を出て行った韓国人2人。

およそ15畳と中々広めの部屋にベッド3台と微かに漂う韓国人がつけた香水の匂い。
そして僕。

絶好調なお腹にポテチを入れながらの更新です。




やって来たのは、アデレードから市バスで1時間程の場所にあるマウントベーカーと言った田舎町。
僕を入れた日本人5人と韓国人5人、計10人のシェアハウス。

「日本人ですか?」
と、約3ヶ月振りに喋る日本語にやや違和感を感じながらも始まったイチゴ生活。

海外初の仕事がイチゴ狩りとか、来世の僕ですらも想像していなかった事でしょう。

で、始まったイチゴ狩りですが、僅か1ヶ月で辞めました。

理由は、僕が住んでいたシェアハウス内での日本VS韓国。

キッチンやリビング、細かく言うと炊飯器や冷蔵庫のスペース、洗濯機、物干し竿、シャワールームなどの取り合い。

互いが互いに敵対意識を向けていて、後から入ってきた僕にとっては居心地が悪かったです。

なので、入って2週間で「2週間後に辞めます」とオーナーに言いました。
ちなみに、イチゴファームのオーナーも韓国人でした。


ただ、悪い点だけではなく良い点もありました。

1つ目は、やっぱり日本ではできない様な経験をした事だと思います。

稼げたら稼げたで良いですが、この歳になって僕がワーホリをする目的は、単なる経験。
日本でイチゴ狩りですらした事のない僕が、1日6時間〜8時間、炎天下の中イチゴを狩る。

三輪車の大人バージョンみたいな乗り物に乗りながら、低い位置に実っているイチゴめがけて両手を伸ばす。
思い返すだけで、腰痛になってしまうのですが、貴重な体験ができたなとは思っています。

2つ目の良かった点は、他国の人達との絡みです。
そこのイチゴファームには、日本人の他にも韓国、台湾、タイ、マレーシアの人達がいて、その人達との【ボスにバレたらOUT腐ったイチゴ合戦】は2020年の東京オリンピック種目になるんじゃないのかな?
って言うくらい地味に白熱しました。

また、シェアハウス内では絶対に話しかけてこない韓国人達が、ファーム内だと普通に話しかけてきてくれたのは嬉しかったです。
無駄なプライドは捨てれば良いのにとは思いましたけど。

3つ目は、イチゴが好きになれた事です。
正直、イチゴは嫌いな部類に入る食べ物でした。
アポロやシェイクなどのイチゴ味は好きですが、フワフワの甘いショートケーキと合わさっている、固くて酸っぱいイチゴは苦手で毎回残していました。

しかし、イチゴ食べ放題のイチゴファームで毎日イチゴを狩って食べているうちに、イチゴの事が好きになり、今度ショートケーキを食べる機会があったら、スポンジとクリームの部分を残してイチゴだけを食べようと思いました。

そんな訳で艶やかなイチゴの写真でも載せようと思ったのですが、残念な事にイチゴどころかファーム生活の写真ですら1枚も撮っていません。

なので今回は、スーパーで半額になっていたポテチの写真のみ。
あまりの適当さに投稿主もビックリです。


と言った具合で、1ヶ月間のイチゴファームを経験しました。

稼げるか稼げないかで言ったら稼げません。
人にもよると思いますが、約20分毎に休憩してはイチゴを食べていた僕は1日に80〜100ドル(7,000〜8,700円)が限界でした。
ただ、先程も言った様に稼ぐ事が目的ではないので、マイナスにならなければ良いやと言ったぬるい考えで働いていました。
なので、本気で頑張れば稼げるかもしれません。

実際、トップピッカーと言って1番イチゴを取る人は1日に200〜250ドル(17,500〜26,000円)は稼いでいました。

もし、この記事を読んで「200〜300ドル⁉︎ 本気で頑張ればイチゴ稼げそう!俺もオーストラリアでワーホリしよっかな!」
と思った方、

よっぽどのイチゴ好きじゃない限り、イチゴはお勧めしません。


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バニラシェイク

僕が何故、南オーストラリア州の州都アデレードに来たかと言いますと、シドニーメルボルンブリスベンなどとは違い日本人が少ないと言った理由から。

せっかくフィリピンで3ヶ月間も英語勉強に費やしたお金と時間。
日本人コミュニティに入り浸り、無駄にする訳にはいかないと思った為。

で、ワーホリで働く為に必要な銀行口座とTAXファイルナンバーとやらを10日間程で揃え、いざ仕事探しへ!

が、異国の地での仕事の探し方が分からずGoogle検索で(アデレード 仕事)
と、さっきの言葉を前言撤回するかの如く日本語で検索。

その後も、当たり前の様に日本語で数回程連絡をした後に「明日から来れる?」
となり、仕事決定。


かなり飛ばしましたが、ここに至るまで既に2週間以上が経過していたと思います。

とりあえず仕事が決まり、安心しきった僕は気温40度とフィリピンよりも暑いオーストラリアの気候に耐えられず、冷房ガンガンに効いているマックへ直行。

そこで「バニラシェイクを1つください。」

と店員に言い放ったのだが、返ってきた返事は「パードゥン?」

再び「バニラシェイク」と言ってバニラシェイクを注文。

が、返ってくる返事は先程と同じく「パードゥン?」

そう言えばフィリピン留学の時に「Vの音を出す時は下唇を噛め!ネイティブスピーカーには通じないぞ!」
って、よく怒られたな。

と、先生の怒った顔とバンバンと机を叩く握り拳が頭に思い浮かんだ後に、下唇を噛んでから「ヴァニラシェイク」


その後、その店員から「パードゥン」と言った言葉を聞くことは無かった。

途中、バニラシェイクを諦めストロベリーシェイクやチョコレートシェイクに逃げると言った考えもありました。

バニラシェイクとヴァニラシェイク。

何が違うのか?
僕には一切分かりません。

だけども、これからマックでシェイクを頼む時は必ずヴァニラシェイクを頼もうと、チョコレートシェイクやストロベリーシェイクではなくヴァニラシェイクを。

そう誓って、僕はストロベリーファームへ行った。

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初めましてオーストラリア

「じゃあ、また日本の何処かで会おうね!」
って、英語だとなんて言うんだろう?

と思いながら、深夜の夜道で皆とタクシーを待った。

頭の中で色々と英文を考えていたけれど、僕だけを乗せたタクシーが出発した時は、「See you again!!」の僅か3単語しか言えなかった。

タクシーに乗り込み、約15分でバギオのバスステーションへ到着してしまった。

3ヶ月も英語勉強に費やしたバギオ。
気候も穏やかで、治安も良く人々も親切でした。
また1つ戻りたい場所が増えたな。
なんて事を思いながら、僕を乗せたバスはフィリピンの首都マニラへと向かった。

マニラ空港に着いたのは、早朝6時頃
出発まで時間があったので、余ったフィリピン通貨で最後のジョリビーを食べた後に、今回もお世話になるエアアジアのカウンターへ。

そこで「今チェックインできますか?」
と、普通に英語で言えた事にビックリ。

中学校1年?か2年?
で習う様な簡単な表現ですが「バギオ⁉︎バギオ⁉︎」など、ただ行きたい目的地を連呼していた頃の自分にとっては上出来だった。

更には、全部ではないけれど、オペレーターの話している英語が聞き取れる様になっていたし、よく言われる(英語の訛り)とやらにも気付く事ができた。

それと同時に「先生達は、いかに綺麗な発音で簡単な英語を僕達生徒に対して、ゆっくりと喋ってくれていたんだ。」

と思ったら、居ても立っても居られなくなり、最後に先生達に感謝のメールを入れてから飛行機に乗った。

機内アナウンスからも流れてくる英語。
3ヶ月前は全く聞き取れなかった。
しかし、今は3割以上は聞き取れる。
ただ、気を抜くと1割しか聞き取れないです。

今すぐにでもバギオに戻りたい。
皆とグダグタの英語でコミュニケーションを取りたい。
松潤の嫁のクラスを受けたい。
お姉系先生のナイトクラスを受けたい。
自分の部屋からボケーっと外の景色を眺めたい。


そんな気持ちとは裏腹に、僕を乗せた飛行機は南へと離陸して行った。

どのくらいかは忘れましたが、飛行機は北半球を通り越し南半球のオーストラリア、シドニー空港へ到着。

ただ、シドニーに用の無い僕は早々に飛行機を乗り継ぐために国際線から国内線へと空港内を移動。

周りから聞こえてくる中国語、韓国語、そして久しぶりに聞く日本語に(池袋駅前のドン・キホーテ?)と思いながら、2度目の飛行機に乗って数時間。

オーストラリアのSAと呼ばれている地域のアデレードと言った都市に到着した。


皆と色々あったフィリピンでの3ヶ月。
その反動は余りにもでかすぎて、久しぶりのホームシックにかかったのがオーストラリア初日での出来事。

更に追い討ちをかけるように、ネイティブの話す英語が全く聞き取れなくて自信を失ったのもこの日の事。


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3ヶ月間の英語留学を終えて。

つい先日ですね、僅か4日間程ですが、日本へ一時帰国していました。

ただ、滞在日数が短すぎて、僕からしてみれば一時帰国と言うよりも観光と言った感覚。

オーストラリアと言う海外にいて、世界で最も住みやすいと言われている街、歴史ある街に暮らしているのにも関わらず、休日は洗濯物を干す時くらいしか外に出ない。

こんな僕も、一時帰国中は珍しく忙しくさせてもらいました。

が、僕のブログの読者で、リア友でもある1人の方から「最近のブログ、英語ばかりでつまらない。」

と、人生で6番目にショックな一言を言われてしまったので、今にも溢れ出しそうな涙を堪えながらの更新です。


フィリピンのバギオと言った小さな町、3ヶ月間の英語留学で何が変わったのか?
と言いますと、1番変わったのはリスニングだと思います。
入学当初の僕は、先生の言っている事が全く分かりませんでした。

しかし、2ヶ月が過ぎた辺りから先生の言っている事が分かる様になり、1ヶ月に1度のTOEIC対策テストの点数も上がりました。

2番目に変わったのは、ライティングだと思います。
EOP(イングリッシュ、オンリー、ポリシー)
と言って、留学中は絶対に日本語を使ってはいけないルール。
会話は勿論、生徒同士間のLINEやメッセンジャー、メールなども日本語禁止。
皆んなとLINEのグループを作り、英語で進んで行くトーク画面。

先生達が見ていない所でも、EOPと言ったルールを守っている所は素直に凄いなと思いました。

最後はスピーキングです。
最初に比べれば伸びましたが、言いたい事が瞬時に出てこなかったり、途中で吃ってしまい目的語が抜けた文章になってしまったり、、

頭の中で英文を組立てる所までは良いのですが、それを声に出そうとすると、僕の口が言う事を聞かなくなると言った現象は日常茶飯事でした。

で、3ヶ月間の英語留学は僕にとっては足りなかったです。
せめて、もう3ヶ月は欲しいかなと思いました。

それでも中学1年で習う、be動詞ですらも曖昧だった入学当初の僕からしてみれば、少しはマシになったのかなと思います。

また、EOPと言ったルールは怠け者の僕にとっては良い環境でした。
誰1人ルールを破らず英語を使ってのコミュニケーションは、勉強さぜるを得ない状況を作ってくれました。

それでも、たまに
「I will wait for you on Session どーろ」
「I wanna buy くーつ」
階段などの段差に躓いて「いてっ!」

など、1週間に1度の頻度で誰かしらの日本語が聞こえてきます。
そして、誰かがうっかり日本語を喋ってしまった後の(あれ?今、日本語喋んなかった?)
(突っ込むべきなのか?気付かないフリをするべきなのか?)
みたいな独特の雰囲気、僕は好きでした。

結局、留学中に出会った生徒達とは最初から最後まで英語でのコミュニケーションしかしていないので、日本語で話すと言った場面が想像できません。

それ位、僕が勉強した学校はEOPと言ったルールが守られていました。

卒業した今でも、時々LINEやメッセンジャーなどで連絡を取り合っていますが、未だに英語です。

もしその方達と再開したら、どっちの言語を話せば良いのか迷う所ですけれども、僕は普通に日本語を話します。

で、最後になりますが、英語での夢について。
よく英語脳になると英語の夢を見ると言います。
僕は1回だけ英語の夢を見る事ができました。

内容は地元の友達と英語で喋っていると言った単純なものでしたが、地元の友達も僕も英語がペラペラで、現実世界の僕はジェラシーを感じていました。

英語での夢は、今の所それ1回だけです。


3ヶ月の英語留学、こればっかりは人によると思いますが、僕にとっては足りなかったです。


それでは、この辺で長かったフィリピン編を終わりにします。



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