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もう既にやる気ない

ありきたりなワーホリブログ

You must not speak Japanese here③

ユウタ君だけでこんなに長くなるとは思いませんでしたが、平成12年中学校1年〜平成29年までのユウタ君の経歴です。



平成12年、中学1年。
【生麦、生米、生卵が言えずに泣いちゃった事件】
これは、前の記事に書いた通りです。



平成12年〜平成14年、中学1年〜中学2年。
【鬼ごっこ、ユウタ君エンドレス鬼事件】
これは僕を含めた5人で、休み時間などを利用し鬼ごっこをしていた時の事、僕達よりもずーっと足の遅いユウタ君をエンドレスで鬼にしていたら、泣いてしまいました。
僕達のメンバーにKがいて、Kに至っては特に酷く、グーでユウタ君にタッチしていましたからね。

そして、半ギレで泣きながら追いかけてくるユウタ君は、当時の僕達にとってはホラー以外の何者でもなかったです。
それが2年間続きました。



平成14年、中学2年。
【こっち見ないでねん事件】
これはユウタ君に好きな人ができた中学2年生の時。
僕もそうですが、好きな人ができるとチラチラと好きな人を見てしまいます。
で、ユウタ君も同じく好きな人をチラチラ見ていたある日の事、ユウタ君の机の上に1枚の手紙。

送り主はユウタ君の好きな人から。
当時の状況はグーパンのKから聞いただけなので詳しい状況などは分からないのですが、好きな人から貰う手紙はさぞかし嬉しかった事でしょう。

手紙を開けたユウタ君。
中を見ると、こう書いてありました。

「こっち、見ないでね。」

その後、ユウタ君を学校内で見かける度に毎回「こっち見ないでね!」と言った遊びが流行り、それがエスカレートして「こっち見ないでねん!」と語尾に【ん】が付け加えられる様になり、15年以上経った今でも過去の思い出話として取り上げられます。




平成14年、中学2年。
【キャンプ寝坊事件】
中学2年の時のキャンプ。
5人1班でバンガローに泊まっていた時の事。
イケテない僕は、同じくイケテない連中5人と一緒の班。

もっとイケテないユウタ君は、もっとイケテない連中5人と一緒の班。
もちろん、僕達とユウタ君は別々のバンガローでしたが、KとHと僕の3人でユウタ君達のバンガローへ遊びに行きました。

そして、イケてるグループが女子のバンガローを訪れているであろう時間帯、僕達は僕達らしく地味にババ抜きやUNOなどをして遊び、ユウタ君達のバンガローを後にしました。

ユウタ君達の目覚まし時計のアラームを【切】にして。

気付かなかったユウタ君達もアレですが、翌朝寝坊し、集合時間に来なかったユウタ君達は先生に起こされ、その後めちゃくちゃ怒られていました。




平成15年、中学3年。
【おばさん、救急車呼んで事件】
中3のある日の事、僕、K、H、A、ユウタ君の5人でチャリに乗って途中まで一緒に帰宅していた時の事。
ユウタ君がチャリから転落しました。

原因は僕達4人がユウタ君のチャリに体当たりした為。
派手に転んでしまったユウタ君の膝からは赤血球。

僕達は「傷口に唾つければ治るでしょ!」
なんて言っていましたが、死を察したユウタ君は、たまたま通りかかったおばさんに泣きながらこう叫びました。

「おばさん、助けてー!救急車呼んでー!」
見事にスルーされたユウタ君は翌日、ケロッとした顔で学校に来ました。




平成16年、中学3年。
【高校受験、ユウタ君以外全員合格事件】
これはそのままで、皆で同じ高校に行きたくて僕とK、A、そしてユウタ君と同じ高校を受験した時の事。

見事にユウタ君だけが落選しました。

合格発表後、受かった僕達3人は落選したユウタ君と一緒に帰宅。
そして、帰宅途中にあった電話ボックスでそれぞれの親に結果を報告。

その時もユウタ君は僕達の側にいて(気まずくないのかな?)
なんて思いながら、僕も母に「高校受験受かった。」と落選したユウタ君の目の前で電話しました。




平成19年。
【全裸で駆け回るユウタ君事件】
しばらくユウタ君とは音信普通状態でしたが、平成19年の夏。
僕と、いつものメンバー(K、A、H)
そして、奇跡的に中学時代の同級生の女子4人と一緒に母校のグラウンドで花火をしていた時の事。

「ユウタ呼ぶか?」みたいな流れでユウタ君を呼び出し、男5人、女子4人になってしまった事を悔やみながらも「久々に鬼ごっこしよーぜ!」と言った流れで鬼ごっこをする事に。

時刻は深夜、数年の月日が経っても相変わらずユウタ君はエンドレスで鬼。

そんなユウタ君を見兼ねたK君は言いました。
「全裸になった方が早く走れるよ!暗いから大丈夫!見えない!見えない!」

その後、ユウタ君は女子が4人いるのにも関わらず全裸になり僕達を追いかけ回してきました。

中学校のグラウンドは真っ暗で、K君の言った通り人影以外何も見えませんでしたが、中学校時代の半ギレで泣いて追いかけてくるユウタ君よりもホラーでした。

全裸になったユウタ君に対して、僕達男連中はお腹が痛くなる程笑いましたが、女性陣はドン引きしてました。




平成20年。
【ゆうた君のせいで2週間でバンド解散事件】
平成20年、僕の20歳の誕生日の時。
「今更だけど、バンドやってみない?」
と言われ、K、H、ユウタ君が僕にベースをプレゼントしてくれました。

メンバー構成は、カラオケで1番点数が高く、少しだけギターの弾けるKがボーカル&ギター。
簡単なコードなら弾けると言ったHがリードギター

ベースをプレゼントで貰った僕は勿論ベース。
で、余ったユウタ君はドラム。
僕がベースを受け取った事で、ドラム以外の楽器は揃い、僕の誕生日にバンド結成。

「来年の紅白目指そうぜ!」

それから約2週間後「ドラムたけーよ」
と、一向にドラムを買う気配のないユウタ君のせいでバンド解散。




平成22年。
【ユウタ君の車のガソリン無駄遣い事件】
K君が一丁前に埼玉の都内へ引っ越すと言うので、僕の車とユウタ君の車2台でK君の引越しを手伝った時の事。

無事にK君の引越しも終わり、K君のアパートでくつろいでいると「久々にスマブラやりたくね?明日休みだし!」となりK君のアパートに泊まる事となりました。

しかし、任天堂64もスマブラも僕のアパート。
同じ埼玉県内でしたが、K君のアパートから僕のアパートまでは高速を使い車で約1時間の距離。

車を持っているのは僕とユウタ君で、話し合いの末ユウタ君の車で僕のアパートへ行き任天堂64とスマブラを取りに行く事に決定。

しかし「ガソリン代が勿体無いから嫌だ」と言うユウタ君。

そんなユウタ君に「分かった。スマブラは諦めて今日は皆で呑もう!」

と言って、僕達は沢山のお酒をユウタ君に飲まし、ユウタ君が泥酔して眠った後にユウタ君の車を僕が運転し、下道を1時30分かけて僕のアパートへと行き、任天堂64とスマブラをピックアップし、再び下道を1時間30分かけてK君のアパートへと戻りました。

で、翌日「その64どうしたの?」
と聞いてきたユウタ君に「GEOで中古で買った」と言い、「何かガソリンが半分位減ってるんだけど」と言ってきたユウタ君の質問に対しては「酔いすぎじゃん?」と言っておきました。



その他にも、埼玉で有名な心霊スポットにユウタ君を置き去りにしたり、雪の日にユウタ君の車のボンネットにやや大きめの雪だるまを乗せたり、ユウタ君の引越しを手伝っている時に手が滑ってしまい、ごま油を6畳のフローリングの上にぶちまけてしまったり、mixiで女の子のふりをしてユウタ君にメッセージしたりと書ききれないくらいありますが、これらがユウタ君の経歴です。



成田空港を西に離陸した飛行機は約3時間30分後。
フィリピン、ニノイ・アキノ国際空港に到着。

そこから北へバスで約6時間、バギオと呼ばれる都市へ到着。
そこから更にタクシーを使い15分。
タクシーから降り、ちょっとしたゲートを通過。


「You must not speak Japanese here‼︎」

フィリピン人。
今日から数ヶ月間お世話になる英語の先生に言われた。

ユウタ君や他の人達と色々あった29年間。
それは100パーセント日本語で交わしてきた事で、それが出来なくなってしまった瞬間だった。

Yesしか英語の分からない僕は、小さく頷き「Yes」と言った。


嫌いだけど英語の勉強始めます。


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